鹿野苑ギフトショップのブログ

インドのお話とベジタリアンメニュー

インドの、私が最もお気に入りの場所 "ラージガート"①

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サルナートの我が家から村の道を車で15分程走ると、突然開けた場所が現れる。

そこは"静かな"ガンジス河。

ガンジス河と言ったら、バナラシのゴチャゴチャした風景が有名だが、そこから4kmほど下流にこの場所はある。

 

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アディ・ケシャヴァ寺院

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寺院の横のちょっとした出店

 

ここの場所の名前は"ラージ・ガート"。

'ガート'とは、階段を降りてガンジス河に入って行く所で、ここから河の上流に向かってバナラシの有名なガート並びが続く。全部で84ヵ所ある。

そして、この寺院が1番目の寺院で、名前はアディ・ケシャヴァ寺院なので、ここは、"アディ・ケシャヴァ・ガート"と言う。

この寺院はバラナシで最も古い寺院と言われていて、ヒンドゥー教のビシュヌ神が訪れ、ビシュヌ神自らご自身の神像をお作りになって寺院に納めたと言うお寺だけど、あまり知られておらず、参拝の人々も近隣住民以外あまり訪れないので、静かなお寺。

 

この場所はガンジス河とヴァルナ川と言う川が合流していて、川が合流している所は"サンガム"と言われ聖なる場所と言われている。

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ガンジス河とヴァルナ川の合流地点

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ヴァルナ川

 

ここは、聖なる場所なので、昔から"サドゥー"というヒンドゥー教の行者が瞑想をしていた。

 

そして、お釈迦さまもブッタガヤで悟りを開かれた後、サルナートを目指して歩いて(約250km位)来られ、ここでガンジス河を渡り、村の道を通ってサルナートに着かれた。

このお話については、恐らく一般的にはあまり伝えられてないかもしれない。

アディ・ケシャヴァ寺院の隣には"クリシュナムルティと言う人(日本でも知る人は知っている、思想家、教育者…)の学校とクリシュナムルティさんの滞在されていた部屋とビジターセンターがあり、著書の中で"仏陀が歩いた道"について話している。

(クリシュナムルティさんの学校のお話は次回に。)

クリシュナムルティさんも、ガンジス河にかかる太陽と月の光の道の美しさのことを書いている。

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この写真は私が撮ったもの。

ブッダは神足通でガンジス河を渡ったったというお話も経典や伝承の中にあるようで、私はこの美しい朝の太陽の道を見ると、「きっとお釈迦さまはこの太陽の道を神通力で歩いて渡って来られたのだろうな…」と、いつも思っていた。

その様子をAIに作ってもらった。

とても神々しくできた。☺️❣️

ヒマラヤ散歩に行ってきました~‼️😃

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🙏ナマステ❗

("ナマステ"は、インドで"こんにちは"と言う意味で、朝でも、昼でも夜でも使えるので、便利な挨拶の言葉です。)

 

私の久々の投稿です🙂

 

朝、夕、ひんやりしてきましたね。

 

朝起きて、窓を開けて、冷たくなってきた空気を肌で感じると、インドのMussorie(ムッスリー)が見えてきて、今日はしばし瞑想の中でヒマラヤ散歩に行ってきました。

 

Moossorie はインドの北地域、標高2000mちょっとのヒマラヤが見える小さな町があるエリアです。

インドの下界が暑さでうだっていても、Moossorie には山を通る涼しい風が流れています。

もちろん冬は、ダウンジャケットを着こんで、部屋の中はストーブが欲しいほど寒くなります。

そういう気候なので、インドがイギリスの植民地だった時代は、イギリス人の居住地だったので、今でもコロニアルスタイルの洋館が転々と残っています。

もちろん今ではイギリス人は住んではおらず、中をリノベーションして宿泊施設になっていたり、どれも100年以上経っている建物なので、古いけれど、その当時を体験できる興味深さがあります。

小さな町があって、教会と骨董品屋さんが、小さいバザールの割に多くあります。

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他にも、

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またはこんな所も、

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まだまだ素敵な建物はありましたが、またお話しましょう。

 

それより今日は、山の景色を堪能しに行きました。

瞑想の中でですが…😌

 

あっ、そうそう、

私がここを訪れたのは、Mussorie にある寄宿学校に娘が学んでいたからです。面会に行ったり、迎えや送りに行ったり、Mussorie にはちょっとワクワクして何回も行きました。それで、ヒヤッ~とした空気を感じると、Moossorie の山を思い出すのです。

でも、ま~、娘がここの学校を卒業してから5年以上は経っているので、町の様子は変わっているだろうな~。

デリーからMoossorie は約300kmほどあり、飛行機ならデリーから1時間でデヘラドンと言う空港まで行き、そこから車で約2時間、デリーから車で行くと、7~8時間程かかります。麓の町デヘラドンからMoossorie までは山を一気に1時間ほどで標高2000mの所まで登るのですが、かなり急な坂をくねくね車で走るので、登りも下りも、ちょっと私にはしんどかったです😵‍💫

 

山散策に戻りましょう。

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この辺りの山は、緑ではなく茶色でゴツゴツしていてちょっと怖い感じですが、遠くにヒマラヤのピークを見つけると感動です😍

朝は、陽ざしが斜めにゴツゴツの山に光を落とすと、山の陰影がくっきりと浮かび、一層ダイナミック感が増します。

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そして、山を眺めながら、の一服は、格別です😋

 

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夕方は本当に美しい😍

私はチャンスがあれば、山の頂上付近に宿泊し、夕方になると景色の神々しい場所を探しにあちこちうろうろ歩き回ります。

 

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歩けるところはうろうろと、もっと範囲を広げてその時は車でですが、この辺りヒマラヤがよく見える所とかあちこちチェックしましたよ🙂

もちろん、季節やその日の天気によって感動的な景色が見えるかは変わるのですが、ラッキーだったら神様は美しい景色見せて下さいますね🥰

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身体は日本にいながらも、

ヒヤッ~とした空気はMussorie の山の上まで私をいざなってくれました😊

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サルナートの遺跡案内 1

サルナートの遺跡を少しづつご案内しましょう。

 この写真は、早朝、日の出の頃遺跡全体を見渡せる場所で、ダメークストゥーパの後ろから昇ってくる朝日を撮ったものです。

太陽が昇って遺跡に太陽光線が放たれると、遺跡がキラキラ輝くのです。それは神々しく美しい😍

遺跡が輝いているところを撮った写真が無いのです😞

↓は日中の写真

 
この様なレンガの建造物に輝く美しさなどあまり想像つかないのですが、この朝の一瞬にだけ輝くのです。早朝は孔雀も優雅に散歩しています。

 

 


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冬、1月頃、北インドは朝は霧の日が多く、サルナートでも深い霧の朝は5m先も見えない程で、そんな時は遺跡の建造物すら見えないのですが、その見えない中でお線香の匂いとお経が聞こえてきます。
早朝にお参りに来られたどこかの国のお坊さんがお経を読んでおられるのですね。霧の中なので姿は見えないのです。
白い空間の中、流れて来る読経と線香の香り幻想的です。

 ダメクストゥーパ

スリランカのお寺

 

朝は犬さんも瞑想している😌


早朝の散歩は素敵なのですが、5~6年くらい前から政府が遺跡の公園の入場をきっちり管理始めたので、早朝に遺跡公園には入れなくなりました。おのずと早朝の遺跡の景色は見れなくなりました。
私も生活の拠点が日本になってしまったのでサルナートの散歩はほぼ出来なくなりましたね。でもサルナートに行った時は散歩します😊

ここまでは私の主観的なご案内でした。

 

遺跡はじっくり見ていると面白い発見があったり、これらの建造物や彫刻が造られた時代に想いを馳せると、とても興味深いのです。

サルナートだけでなく、インドには古くて見事な彫刻の寺院などがたくさんあり、その様な寺院や場所に行って探求するのが私の趣味の一つです。

本当に"interesting "😍

私は仏教も考古学も学んだことはありませんが、いつも見ていて疑問に思い自分なりに調べて見ると新しい発見があります。

そんな私的ご案内をこの後もしていこうと思います☺

と言うことで、今日のところはこの辺で…😌

サルナートの仏教のお寺 その1

今日は、遺跡の公園の周辺、
サルナートの仏教寺院を紹介します。

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私の家から一番近いお寺で、チベット仏教のカギュ派のお寺。
チベット仏教と言うとダライ・ラマ法王が有名ですが、この派の最高指導者はカルマパ17世、現在40歳。
2000年にチベットからインドに亡命して来て、今はインドでチベット人が多くいるダラムサラにおられるよう。
チベット仏教のお寺はどこも色彩が華やかで美しい。本堂は写真撮影が禁止だったので写せなかったが、天井の絵も美しい。

 


こちらは別のチベットのお寺で、ダライ・ラマ法王のゲルク派のお寺。現在のダライ・ラマ14世も1959年にチベットからインドに亡命して来られた。この寺は先のカルマパの寺より大分古い。この写真を撮ったときはお勤めの最中だったので中に入れなかったが、中央に大きなお釈迦様と、その回りの壁に小さな仏像が恐らく何百体と壁一面に置かれている。このたくさんの小さな仏像は人間一人一人に思えて、私はこの感じはいいなとお思う。実は全ての人の中に仏様がおられる、もしくは、私たち人間を取り巻く空気の全てに仏様の分身がたくさん散りばめられているようなそんな感じがする。

 

菩提樹の木の下にお釈迦様が座っておられる。

サルナートにはチベット仏教のお寺がこの他3つくらい新しくできているようですが、私はまだ行ったことはありません。

 

タイのお寺

ここでも菩提樹の木の下に仏像が置かれている。


巡礼の人たちが、ここで座ってお坊さんの話を聞いている。

チベット寺、タイ寺以外にも、

ミャンマー、中国、韓国、日本のお寺もある。

 

 

睡蓮の池に、黄色と赤紫の睡蓮

 

これは"チョカンディーストゥーパ"。

お釈迦様がブッタガヤからサルナートを目指して来て、かつて苦行を共にした5人の比丘と最初に会ったところ、日本語では"迎仏塔"。

サルナートの仏教のお寺は、ブッタガヤよりは全体的に規模は小さいです。

日本寺、仏教ではないですがジャイナ教のお寺の紹介は次回に。

サルナートってどんなところ?

サルナートのこと、以前チラッとお話ししただけで、まだよく説明してなかったですね。

うっかりしてました😣
このブログを読んでくださる方に、サルナートのことを少しでも理解していただいてなかったら、私が一方的にお話しすることの意味がわからないですよね。すみません😣💦⤵️

これから少しづつお話ししていこうと思います。

サルナートは、北インド、ウッタルプラデーシュ州の、ガンジス河で有名な"バラナシ"から13km程郊外にあり、"農村"地域です。

 

サルナートの意味は"鹿の園"で🦌

日本語では"鹿野園"(ろくやおん)です。

リシパタナ、ムリガダバとも言われていて、こちらの意味は、リシは仙人の意味で、"仙人の集まるところ"とか"仙人の飛行場"と言う意味合いがあるそうです。

ちなみに3年弱前に出逢った私の日本の家は奈良にあり、近所に"鹿野園町"があります。ここでは「ろっきゃおん」と言われています。でも、始めから近くに鹿野園町があることを知っていたのではなく、奈良に住み始めてから知りました。

偶然ご近所だったのです。

そして奈良同様にサルナートにも鹿さんたくさんいます。🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌🦌

でも、インドの鹿はほぼ柵の中で保護されていて、人間が歩く道路は歩きません。

なぜか?、インドでは鹿は保護されているとのことです。

 

他の動物は、牛🐃、ヤギ🐐、羊🐑、イヌ🐶、時にはラクダ🐪やゾウ🐘も道を歩きます。

牛、ヤギ、イヌはほぼ自由に歩いています。

牛とヤギは大抵飼い主はいますが、自由放牧ですね。


2500年前にお釈迦様がブッタガヤで悟りを開かれた後、この悟りをかつて苦行を共にしていた5人の修行僧に説法をするため、彼らがいるサルナートを目指され、5人の比丘に会ってサルナートで始めての説法をされた。
初めて法の輪が回転したので、"初転法輪"と言われている。
これが仏陀の教え仏教の始まりです。

 


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初転法輪は2500年前ですが、その後は紀元前2世紀頃から紀元後12世紀頃までにサルナートは寺院や大きなストゥーパ(仏塔)ができたり、形が作られてきたものの、その後はイスラム教が侵略してきて、サルナートも破壊と略奪にあい、他にも理由があると思いますが、インドでは仏教は衰退してしまったのですね。

今のサルナートの遺跡は仏教全盛当時の建物の基壇だけが残っていて、整備された美しい公園になっています。
ダメークストゥーパと言う直径28m、高さ43mの仏塔だけは、そのまま残っています。
ダメークストゥーパは5世紀頃に造られたようで、この場所でお釈迦様は5人の比丘に始めての説法をされたそうです。

大きくて目立つのでサルナートのシンボルです。

仏教全盛の時代は、今は基壇だけになっている中でもう2か所、45,6mの建物、寺院とストゥーパと、アショカ王のライオンの王柱は15mで、大きな建物が連立していたようです。
遺跡の近くにある博物館には、サルナートで発掘された大きな仏像もあり、
私はタイムマシーンに乗って、これらの建物や仏像が立ち並んでいた時の様子を実際に見てみたいと真に思います。
インドの古い寺院は彫刻が素晴らしく、高さがビルで言ったら14~15階位あるだろうという建物が、どうやって造られたのか?

この当時グプタ朝では、サルナートは仏像製作が盛んに行われていたようで、

初転法輪像とアショカ王のライオンの王柱の彫刻は美しく、このような彫刻が寺院にも施されていたとしたらさぞや美しかったことと思います。

初転法輪像 5世紀

サルナートの博物館に本物が展示されています。材質は石なのに、とても柔らかい曲線で、表情も優しく本当に美しい仏像です。

サルナートの大体の仏像は顔が壊されているのですが、この初転法輪像は顔がきれいなまま残っていて本当に良かったと思います。

 

アショカ王のライオンの王柱 紀元前3世紀

このライオンの王柱はインドの国章で、

仏教発祥のシンボルです。

4頭のライオンの顔が東西南北、四方に仏教が広がるように。

 

こちらは奈良の東大寺のライオンの王柱

 

遺跡のお話しはまだまだ色々ありますが。

今日のところはこの辺で。

 

今日はブッダプルニマーお釈迦様の誕生日

誕生仏

2025年5月12日は、
インドでは、"ブッダプルニマ"と言って、お釈迦様の誕生日のお祝いの日です。

上の絵は、日本人の野生司 香雪画伯がかれこれ100年近く前にスリランカ寺の壁に仏陀の生涯の絵を描かれました。

日本では花祭りは毎年4月8日と決まった日にちにお祝いされますね。
インドでは、4月か5月の満月🌕の日に祝われるので、毎年日にちは変わります。
インドでは、お祝いなどの日は日付よりも"満月"と言うのが重要です。
"プルニマ"と言うのは"満月"と言う意味です。

もちろん今日はサルナートでは祝祭の行事が行われます。
パレードがあったり、象🐘も来るかな。

ですが、なんと私は昨日デリーに戻って来てしまいました😥

デリーに戻る飛行機のチケットが昨日の日付で予約されていたのです。

ブッダプルニマの日は、サルナートのメインのお寺、スリランカ寺の金色の初転法輪像の下に安置されているお釈迦様の骨、仏舎利の御開帳があると思うのですが、私は御開帳に行きたいと思っていたものの、今回も機会を逃してしまいました。

 

初転法輪像


実は、私はサルナートのスリランカ寺の金色の初転法輪像の下に安置されている仏舎利をまだ一度も見たこと無いのです😓
サルナートに住み始めてからもう37~38年になるのに…。
しかもサルナートの私の家からスリランカのお寺までは、歩いて10分くらいかな…。

近所です。

遺跡の公園やうちの店に行くよりも近い。


私はサルナートにいる時はよく散歩に出るので、その時は必ずこのスリランカ寺にはお参りに行き、祭壇の中に入らせて頂いて初転法輪像の周りを3回まわって、仏像の後ろの仏舎利が安置されているところに、額をつけて礼拝するのです。
でもそれが御開帳になっている時には私はお寺に行ってないのです。

「なんで~!?」😲

って、私が第三者的になったら言いますね…。

たぶん、私がサルナートに住み始めた最初の頃に主人が、
2500年も経っているから、

"本物かどうかわからない"
とか言う、不謹慎😞なことを言ったのですね
なんかそれが私の中にすり込まれたと言うか、仏舎利を目で見に行くことにそれ程重要性を感じなくなっていたのだと思います。
すごく並ぶしだろうし、5月は酷暑期でただでさえ暑いので、頑張って行かなくてもまだいつでもチャンスはあるかなくらいに思っていたのだと思います。

結局のところ、灯台下暗しと言うか…。

そのうち私もサルナート以外の場所での生活体制になってきたので、ブッダプルニマの時にサルナートに私の身体がいないことがここ何年かはほとんどになってきて、スリランカ寺での仏舎利を拝見するチャンスがなかなか難しくなってしまった次第です。

でもデリーの博物館で展示されている仏舎利はお参りしました。

今回はタイミング的にはチャンスだったのに…、逃しました😢

サルナートのマハボディソサヤティ(スリランカ)のお寺

シンドゥール作戦


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今日は5月10日。

インドとパキスタンの戦闘状況は、少しづつ拡大している様子。

この戦いはインドでは"シンドゥール作戦"と言われている。

 

"シンドゥール"と言うのは、
インドの既婚女性が額の上の髪を真ん中で分け、その分け目につける赤い粉のこと。
この赤い粉は既婚女性のシンボルで、

結婚式の時に、新郎が新婦の額上の分け目に赤い粉をつける儀式がある。その後は既婚女性は毎日自分で髪の真ん中の分け目にシンドゥールをつけ、夫が先に亡くなった場合シンドゥールはつけなくなる。

最近は都会ではこの風習も薄らいで来ている。

新郎が自分の指を少し傷つけ、そこから出た血で新婦にシンドゥールをつけ、

「自分の血を流しても、妻をを守ります」と言う意味だと以前どこかで聞いたか読んだと私は思うのだが、

それに関してネットでちょっと調べたけど見つから無かったので真意はいかに?

今回のインドとパキスタンの戦いの始まりが、新婚の妻の目で前で夫が撃たれて亡くなったので、"シンドゥール作戦"と言う名前がついたそうで、血を流して亡くなった夫の変わりにモディ首相守ってくれると言うことだろうか?


ちなみに、インドの軍隊の将校と大佐は女性。女性の指揮官が戦いを指揮するなんて、かっこいい!
インドは女性に対して保守的なイメージがあると思うが、普通に女性のパイロットや警察で上の地位に就くなど、男性と同じように働く女性は割りと以前から存在している。

この記事を書いている間に、"

戦争が終わった"と言うニュース❗

あ~、良かった❕❕❕

これで緊迫感から解放された‼️🙌