ここはハリドワール。
ハリドワールは、デリーから250km程北上したウッタラカンド州にあるヒンドゥー教の聖地。ハリは神、ドワールはドアで、“神様の入口”という意味。
隣はヨガで有名なリシケシがある。
ハリドワールには、バナラシ同様に有名な大きなガートがある。
ガートは人々が沐浴をする所で、階段があり階段を降りてガンジス河に入って行く。
この写真のガートは、ハリドワールの有名なガートから少し離れた場所にあり、
このエリアはヒンドゥー教の行者“サドゥー”が多くいて、お寺とアシュラム(宿坊)があり、修行者エリアにある。その為一般人はほぼ訪れないので静かでヒンドゥー教の濃い世界がここにある。
私の娘はこのエリアにあるヨガ大学でヨガを学んでいる。
ヨガと言うと日本ではエクササイズの様に思われているが、身体を使うハタヨガはもちろんのこと、精神世界、インドの叡智も同時に学ぶ。
「私も若かったらこの大学に入りたかったな」と思う。
この日私はこの小さなガートで、それは美しい朝の景色に遭遇した。
私の家のあるバナラシのガンジス河でも、何度も美しい日の出を見てきたが、
この日の日の出は、これまで見て来た日の出の中で最高に美しい日の出だととても感動した。
この写真の中で座っている人は、若いヒンドゥー教のお坊さんで、サドゥーとは違う。
そのお坊さんが私に話しかけて来た。
僧「あなたのスマートフォンのカメラの方が自分のカメラより綺麗な写真が撮れるので、私の写真を撮って私に送って下さい。」
私「OK〜!」
私「どこから来ましたか?」
僧「バナラシ」
私「私はサルナートですよ〜!」
僧「私はバナラシヒンドゥー大学の近くのアッシーガートの辺りにいるので、会いに来て下さい」
ご近所だった。今度お尋ねしてみよう。
そして私は目の前の美しい景色の中、ガンジス河で沐浴した。
腰くらいまで水の中に入って行き、頭までドボン、ドボン、ドボンと3回水の中に浸かる。
ガンジス河がそこにあったら、私は沐浴せずにはいられない。
だから沐浴は、凄く嬉しい。😊
ちなみに私が沐浴する時は、もちろんインド人のようにサリーを着たまま、服を着たまま水に入る。
服と言っても綿素材の軽いインド服なので、水に入るのに何ら問題はない。
そして翌日も、私はまた美しい朝を見たいと思い、夜が明けない暗いうちに部屋を出てガートに向かった。
私が宿泊している所は、このガートの近くのアシュラム(宿坊)なので、ガートまでは歩いて5分位の近い所。
ところが、、、
その日は曇っていて綺麗な日の出は見れなかった。
おまけに、この小さなガートエリアにインド人の巡礼ツアーの人たちが30〜40人位いただろうか?
前日とは打って変わって、人々で混雑していた。
「え〜!これじゃ、バナラシのガンジス河のようじゃない!」
私は決してバナラシのガンジス河が良くないと言っているわけでは無い。
バナラシのガンジス河は、生も死も浄も不浄も飲み込んだ人間界の混沌が全て含まれている様子が見れる世界のようで、“母なるガンジス”と言われる所以と思う。
それ故バナラシの母なるガンジスに私はとても惹きつけられている。
ガンジス河のまた違った顔、静かなガンジス河はそれはそれで素晴らしいのだ。💕
前日があまりにも美しく静かだったので、同じ場所なのにその変わり様に、びっくりした。😮
そして私は気がついた。
「あ〜、そういうことか」🤔
私はよく思い込む癖がある。
もし私が、昨日のあまりにも美しいこのガートの景色を見た後帰路についていたら、
「ハリドワールの◯◯ガートの日の出の景色は最高に美しい‼️」
と決めつけて、思い込んでしまっただろう。
でもその思い込みが危険で、これまでも何度も“これは凄く良い!”と思っていた事がその期待とは裏腹の結果を得る事となった出来事がありショックを受ける。
その出来事が大きければ大きいほど、ショックの渦に引き込まれてしまうこともあったが、
結局は、全てはどちらの姿もあるということで、あまり極端な思いに気持ちを持っていかないのが得策なんだなとその都度思うのだけど、すぐ忘れていつもの癖が出てしまう。
自分の心はいつも真ん中辺にバランスを取るよう心がけていこうと、
この二日間のこのガートの景色を見せて頂いて再び思った。
神様有難うございます。🙏🏻